1989年、子どもたちもようやく学校に落ち着き、すくなくとも平日の日中は仕事に集中できる、と開業した私たちですが、全力疾走の16年を走り抜けた2005年夏、それぞれの親世代が“後期高齢者”などとヒトくくりで呼ばれるステージに到達し、自宅・事務所・親の家、自宅・事務所・郷里の家、自宅・事務所・親の入院先・・・と立ち回り先の数が日増しに増え、遠方になり、必要な時間が増える、という状況におちいり、このままではどれも中途半端になりかねないという危惧のモト、削れるところを1ケ所削るという決断をしました。
もともとお金も無く事務所はそれぞれの自宅から、というスタートでしたが、年を追うにつれ事務所も家からはなれ、2005年当時は渋谷の宮益坂にそったペンシルビルの9階に、小さくても便利で使いやすいオフィスが拠点となっていましたので、これを手放すのはとても残念でしたが、泣く泣く実行。結局もとのSOHO、それぞれの自宅が拠点となりました。」
なにはともあれ、事務所の閉鎖は会社そのものの解散と誤解されがちなのをいいことに、仕事のほとんどを収束させ、どうしても、という関係先に絞込み5年間、冬眠にも似た状態を社史に刻みました。
ご迷惑をおかけいたして申し訳ありません。言い訳と愚痴をちょっと言ってみました
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